【高校サッカー】記録で振り返る主要3大会の戦績|1994年度

1994年度の高校サッカーを振り返る
アメリカW杯が開催された1994年。ブラジルがW杯史上最多4度目の優勝を飾りましたが、そこに日本代表の姿はありませんでした。ドーハの悲劇を乗り越え、もしアメリカW杯に出場していたら…どのような結果となっていたでしょうか。サウジアラビアがベスト16に進んでいることからもチャンスがなかったわけでもなさそうです。
高校サッカーは清水商業がインターハイ・全日本ユースの2冠、選手権は市立船橋が初制覇を成し遂げ、後の日本代表となる選手の多くが活躍した年代でもありました。
それでは主要大会の記録を振り返ります。
全国高校総体(インターハイ)サッカー競技

引用:95高校サッカー年鑑
富山県で開催されたインターハイ決勝は清水商業と帝京の対決となり、1点を守り切った清水商業が4年ぶり3度目の優勝を飾った。ベスト4には鹿児島実業と広島皆実が進出した
高円宮杯 第5回全日本ユースサッカー選手権大会

引用:95高校サッカー年鑑
現在のプレミアリーグの前身大会として知られる全日本ユース選手権。高体連所属の高校サッカーチームとJCY所属のクラブユースチームがカテゴリーの枠を越えて対戦し、日本一を決める大会。
1989年から1996年までの出場権は高校チームが全国9地域の地域大会優勝チーム、クラブチームはクラブユース選手権の上位4チーム、その他に前年度の全日本ユースと日本サッカー協会推薦2チームずつの計16チームが参加し、トーナメント方式で争った。
高校チームとクラブチームの決勝戦となった試合は、清水商業が3-1で読売日本SCを下して、2年連続3度目の優勝を果たした。ベスト4には習志野と東福岡が進出した
第73回 全国高校サッカー選手権大会

引用:95高校サッカー年鑑
インターハイと全日本ユース2冠の清水商業が史上初の3冠に臨んだが初戦で敗れる波乱があった中、決勝に進んだのは市立船橋と帝京の関東勢対決
互いにここまで1失点のみと非常に安定した戦いぶりが目立った両者。接戦が予想されたが、市立船橋の森崎嘉之がハットトリックの大活躍。帝京の選手権決勝不敗神話をも破り、初の全国制覇を達成した
ベスト4には初戦で優勝候補の清水商業を倒した奈良育英と守山北の新興勢が進出した
この年のピックアップ選手 ~輝きを放ち飛躍へと~
森崎 嘉之(もりさき よしゆき)
優勝した市立船橋のエース。選手権では8得点で得点王になり、将来を嘱望されジェフ市原に入団するもプロの壁を打ち破れず、若くして現役を引退した。その後は10年ほどブランクがあったが、指導者への道へ進み、地域貢献や後進の育成に力を注いでいる
中田 英寿(なかた ひでとし)
韮崎高校では2年時の選手権と3年時のインターハイに出場。この頃から世代別の日本代表に選出されていた。プロに上がってからの活躍はまさにレジェンド。日本のサッカーを世界レベルに引き上げたと言っても過言ではない。現役を引退後は様々な分野で活躍の場を広げ、日本文化に係る活動も取り組んでいる。
佐藤 由紀彦(さとう ゆきひこ)
清水商業では数々のタイトルを獲得した世代屈指のゲームメイカー。地元の清水エスパルスに入団するが、思ったような活躍をすることはできず、当時JFLの山形に移籍。そこで才能を開花させ、多くのJリーグチームを渡り歩き活躍した。現在は指導者として活躍している。

他には楢崎正剛、安永聡太郎、松田直樹、波戸康広、西澤明訓、宮本恒靖などがいた世代でした!
今回は1994年度の振り返りでした。次回もお楽しみに!

↓ランキングに参加しています♬良かったら覗いてみてください↓

にほんブログ村
コメント