【高校サッカー】記録で振り返る主要3大会の戦績|2001年度

2001年度の高校サッカーを振り返る
2002年W杯日韓共催大会を1年後に控え、フル代表はW杯のプレ大会と位置付けされたFIFAコンフェデレーションズカップでFIFA主催のA代表世界大会として男女通じて初の準優勝という快挙を収めた。また、中田英寿が所属するローマがセリエAで優勝し、日本人で初めてスクデットを獲得した選手となった。
高校サッカーでは、国見が戦後7校目となる選手権連覇を達成。全日本ユースも制しており、2冠に輝いた。選手権決勝に進んだ岐阜工業も各大会で上位の成績を残した。
それでは主要大会の記録を振り返ります。
全国高校総体(インターハイ)サッカー競技

引用:2002高校サッカー年鑑
熊本県で開催されたインターハイは市立船橋が藤枝東を3-0で破り、清水東、清水商業と並ぶ最多タイ記録の4度目の制覇となった。ベスト4には岐阜工業、鹿児島実業が名を連ねた。
高円宮杯 第12回全日本ユースサッカー選手権大会

引用:2002高校サッカー年鑑
現在のプレミアリーグの前身大会として知られる全日本ユース選手権。高体連所属の高校サッカーチームとJCY所属のクラブユースチームがカテゴリーの枠を越えて対戦し、日本一を決める大会。
1989年から2002年までの出場権は高校チームが全国9地域の地域大会優勝チーム、クラブチームはクラブユース選手権の上位5チーム、その他に前年度の全日本ユースと高校選手権優勝チームの所属地域から1チームずつの計16チームが参加し、トーナメント方式で争った。
全日本ユース決勝は国見とFC東京U-18の一戦。接戦となったが、国見の1年生FW平山が値千金の決勝点を挙げ、全日本ユース初優勝。ベスト4に進んだ高体連所属チームは優勝した国見のみでクラブチーム勢の躍進も目立った。
第75回 全国高校サッカー選手権大会

引用:2002高校サッカー年鑑
国見と岐阜工業の対決となった決勝戦。国見が優位に試合を進め、岐阜工業の反撃を1点に抑え、通算5度目の優勝、選手権連覇を飾った。前橋育英はJリーグ内定者6人を擁するタレント集団でベスト4に進んだ。
この年のピックアップ選手 ~輝きを放ち飛躍へと~
徳永 悠平(とくなが ゆうへい)
選手権、全日本ユース2冠で優勝した国見のディフェンスを統率。卒業後はFC東京の不動のレギュラーとして長年活躍。日本代表にも選出され、オリンピックには2度出場した。
長谷部 誠(はせべ まこと)
藤枝東3年時にメキメキと頭角を現し、インターハイ準優勝、国体優勝に貢献。浦和レッズに進んだ後の活躍ぶりは皆さんご承知の通り。ブンデスリーガ、日本代表での活躍はまさにレジェンド。現役引退後も指導者として、ドイツ・日本で活躍の場を広げている。
栗原 勇蔵(くりはら ゆうぞう)
横浜マリノスユースのチームとして目立った成績は残せなかったが、チームの主力として活躍。ユースから昇格した横浜F・マリノスでは引退までチーム一筋でプレーし、ミスターマリノスとも言える実績を残した。

他には永田充、徳重健太、赤嶺真吾、藤本淳吾などが活躍した世代でした!
今回は2001年度の振り返りでした。次回もお楽しみに!

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